第三回調査 八王子城
助 今回は、前回のリベンジで八王子城探索レポートの発表なんです。
が、身の危険を感じたため、教授との共同作業となります。
教 ハッキリ言って、満身創痍とはこのことだな。
助 肉体と心が折られましたね。
教 うむ。ではゆっくりだが本題に入ろうか。
八王子城の最後は
1590年(天正18年)6月23日,天下統一を進める[[豊臣秀吉]]の 軍勢,[[上杉景勝]]・[[前田利家]]・[[真田昌幸]]らの連合軍1万5千に攻められ,1日で落城した。 当時,城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけ,八王子城内には,城代の[[横地監物吉信]],家臣の[[狩野主善一庵]],[[中山勘解由家範]],[[近藤出羽守綱秀]]らわずかの将兵の他,領内から動員した農民・婦女子を主とする領民を加えた約1000人が城内に立て籠ったに過ぎなかった。 豊臣連合軍は力攻めによる殲滅作戦を展開,城内の婦女子は自刃し,御主殿の滝に身を投げ,滝は3日3晩,血に染まったと言い伝えられている。 [[小田原合戦]]において,北条当主・氏政とともに氏照は切腹した。 その後,北条氏に代わり領主となった[[徳川家康]]は八王子城を廃城とした。 |
助 まずは御主殿方向へ向かいます。本丸跡とは別の道ですね。
教 ここはヤバかったな~。
助 歩き始めてすぐ異様な雰囲気でしたもんね。
教 そうだな。あれは右手にあるお堂らしきものを撮影しているときだったな。
助 門の閉まる音が聞こえました。
教 右に同じく。ここで、もうすでに心が折られたな。
助 直後に撮った写真がこれです、、、
助 ここは教授に指示されて撮った場所でしたね。
教 あの時、確かに感じたんじゃ。闇夜に蠕く何かを、、、
助 教授のエンジンが暖まってきた所で、次へ移りましょ、、、
助 ここは曳橋ですね。
(当時はこの橋台に簡単な木橋を架け、有事にはこの橋を壊す事によって敵の侵入防いでいたそうです)
教 うむ。何箇所か足をとられたぞ、、、
助 私は普通に渡れましたが。
助 ・・・
教 どうした?説明は?
助 ・・・
教 しょうがない。ここは虎口だな。
(城や曲輪の出入り口は虎口と呼ばれ、防御と攻撃の拠点となるように様々な工夫がしてある。御主殿の虎口は木橋を渡った位置から内部まで高低差約9mを「コ」の字形に折れ曲がった階段通路としている所が特徴である。階段は前段で25段、踏面が平均1m、蹴上げが36cmで、約5mの幅を持っている。途中二ヶ所の踊り場とともに、全面に石が敷かれているのはこの城独特のものである。)
助 ・・・
教 どうした?何故黙る?腹減ったか?
助 実は、、、
教 腹か?
助 耳を引っ張られました!この虎口で。完全に手の感触でした。
教 そういえば、、、耳を押さえていたな。
助 明らかに耳をもっていかれた〜。これは憶測なんですが、触られた瞬間急に悲しくなり、涙が出ました。きっと、耳の不自由な人か、耳を切り落とされた人ですよ。
教 そうだな。心が折られたんであろう。では少しの間休んでいなさい。
教 ここは御主殿入り口だ。
(北条氏照が居住していた場所。約400年前の築城時に造成され、周囲を石垣と土塁で囲んだ長方形の削平地となっている。特に東側は敵の侵入に対して、厳重に防備する為、石垣で造られた虎口で守られている。)広い野原だったな。
助 過去に見たTV番組で、ここが関東最大の霊場だって言ってました。ここで引き返したんですよね。
教 大丈夫か?
助 なんとか。思い出しただけで鳥肌ですが、、、先に進めましょう。
ここまでがパートTです。次は本丸跡(パートU)に向かいます。
が、パートUに行く前に、3枚目の写真を見てお気づきになられた方はいますでしょうか?
ここは二人ともが門の閉まる音を聞いた直後に撮られた写真です。やはり写っていました。
本当に勇気のある方だけどうぞ。
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顔はもちろんの事、この写真、拡大縮小を何度かしていると
周りの光る葡萄みたいなものが増えていくんですよ、、、
ではパートUもお楽しみ下さい。
パートUへ